クソ人間野郎
こんにちはウルカ。
朝靄の中を小さな木製のボートが静かに進んでゆく。
使い古されたオールを漕ぐ褐色の肌は、汗と、たっぷりと湿気を含んだ空気で、じっとりと濡れている。
マングローブの林に入ると、無数のスポットライトの様な木漏れ日が、宙に浮かぶ塵をキラキラと浮かび上がらせた。
褐色の肌をした男は、鯰でも釣るつもりなのだろうか。
釣竿と、長い柄のついた網、竹で編まれた目の細かい籠のようなものをボートに積んでいる。
男が、オールを漕ぐ手を止めた。
殆ど流れのない水面は、突然停止したボートに戸惑っているかように小さな波を立てだが、また直ぐに静けさを取り戻した。
男は右手に釣竿、左手に網を持ち、ボートの中で立ち上がる。
そのまま静止する。
少し離れた場所から聞こえる野鳥のさえずりと、微かに風で葉が揺れる音以外に聞こえるものといえば、男の鼓動くらいだろうか。
額から吹き出した汗が、顎へと集まり、ボートの底にシミをつくる。
ポタポタと滴り落ちる汗が、次の一滴を落とそうとしたその時、男が動いた。
右手の釣竿をしならせると、一気にマングローブの枝にめがけて打ちつけた。
静寂を切り裂く一太刀に、潜んでいた影が水面に向かって跳んだ。
水に落ちた潜んでいた影は、少し間の抜けた泳ぎ方で自らボートに近づく。
マングローブの根と勘違いでもしているのだろうか。
男は左手の網で潜んでいた影を掬うと、手早く竹籠に入れる。
竹籠を小脇に抱えて小道を進むと、薄汚れた小屋が見えてきた。
我が家だ。
ドアを開けると、痩せた、不機嫌そうな女が、冷めたスープと待っていた。
おい、とうとう捕まえたぞ!
これは本当に珍しいものだ。
高値で売れるに違いないぞ。
男は興奮気味に女にまくしたてる。
女はイライラと髪を手で梳かしながらこう言った。
そんなもの、売れるわけないじゃないか。
フラフラと猟師の真似事なんてしてないで、ちゃんと働いとくれよ。
あの子を学校にだって行かせてあげたいんだよ。
と、見窄らしい木製のベッドで眠る赤ん坊を指差した。
男は、バツが悪そうに小脇に抱えた竹籠を見た。
1997年、東南アジアの小さな島で発見されたコガネオオトカゲは、幻のトカゲとされ、ワシントン条約附属書への記載が提案されたこともあり、当時は数十万円から百万円を超える値で取引された。
現在では繁殖も進み、五万円から十五万円程度で取引され、温厚な性格と、美しい体色からペットとして非常に人気が高い。
ウルカ、お前の種は発見されてまだ20年ほどしか経っていないんだな。
クソ人間野郎に発見されなければ、こんな境遇にはなっていなかったなどと嘆かないでくれよ。
俺はお前に出会えて嬉しいんだよ。
ペットや動物園を否定する意見にはどちらかといえば賛成だ。
それでもお前と暮らすのは、何故なんだろうな。
お前の瞳をみていると思い出す。
西アジアの貧困地区を訪れた時、私たちにはなんの選択肢もない、ここで生まれてここで死んでいくだけだとうなだれた夫婦の隣で、ウルウルと輝やいていた子供達の瞳。
俺は、あの子供たちよりも絶対に恵まれている。
ウルカ、俺の瞳、少しは輝けているか?
今日のウルカはデュビアを9匹。