ニホンオオカミのレプリカ

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おはようウルカ。

 

のらりくらりと降る雨が森を乳白色に暈している。

ワックスを擦り込んだエジプト綿のジャケットはよく撥水した。

大きなフードは世界と自分を隔てる最後の砦、最後のバリア、最後の殻。

森にはいって3日が経った。

喉の奥が痛いような、痒いような、嫌な感覚は酷くなってきている。

 

森はぽっかりと空いた穴のように都市の真ん中にあった。

人工的に作られたもので、徒歩で横断すると3週間程かかる。

野生タイプの動物が数多く生息しており、ニホンオオカミなど、既に絶滅した種のレプリカを見る事もできる。

政府が世界中のあらゆる学者を集めて開発した人体メンテナンススペース。

税金、保険料を納めている者であれば自由に利用する事ができる。

両手両足に巻いたセンサーが身体、精神の状況をネットワークサーバへ送り、AIがそれらを最適化する為の行動、ルートを其其のタブレット端末へ指示として送る。

指定された植物を食べ、書物をタブレットで読み、同じルートを11日間グルグルとまわる者もいれば、火を起こし、木に登り、腹式呼吸を決められた時間繰り返し、狩をしながら数ヶ月間森に留まる者もいる。

森で他の人間に会うことは無い。

AIの指示通りに行動していれば、身体と精神は最適化され、人間社会へ復帰する頃には最高のパフォーマンスを発揮する事ができる状態となっている。

 

メンテナンス改革。

高い生産性を維持するには、労働する者のメンテナンスが重要となる。

効率よく高いパフォーマンスを維持する為の法案。

執行されてから6年が経つ。

この国の生産性、幸福度、犯罪減少率は世界でトップを争うまでとなった。

 

 

その大きなフードを深く被った者はホームレスのように貧しい身なりをしている。

背が低く、痩せている。

手足に付けているはずのセンサーもなければ、タブレット端末も持っていない。

セキュリティをかい潜って森に入ってきたようだ。

 

木々にフレーミングされた細かな雨を落とす空を見上げる。

大きなフードから顔がのぞいた。

10代前半だろうか、少年だった。

透き通るような白い肌に目鼻立ちのはっきりとした顔は美しいと言って良い。

 

少し離れた場所で、この貧しくて美しい少年を観察する者が在る。

AIを搭載したニホンオオカミのレプリカは気配を完全に消し、排除するよう命じられた侵入者を観察している。

スキャンした結果、この貧しくて美しい少年は気管に癌疾患があるようだ。

治療しなければ癌は身体中に広がり、正常な細胞を喰い尽くし、少年は死ぬだろう。

 

少年の後をつけて3日が経った。

ニホンオオカミのレプリカは不思議な感覚に戸惑っていた。

少年を排除せよと命じられているが、実行に移せないでいる。

プログラムにブレーキをかけるウィルスか何かが人工脳内で増殖しているようだ。

原因は不明であり、システムユーティリティの修復を試みたが改善はみられなかった。

 

ニホンオオカミのレプリカは少年を美しいと感じた。

美しいという言葉は知っているが、美しいと感じたのは初めてのことだ。

思考する事はできても、美しさに感動するなどという不要な感覚は設定されていない筈である。

ニホンオオカミのレプリカは川の水を掬って飲む少年の美しさにその灰色の目を細めた。

 

 

神頭先生、経過はどうですか?

ああ、小林教授、大変良好です。

あのレプリカオオカミのプロトタイプですが、感情や自我の形成は想定以上に早く、現在ではあの少年に寄り添い、癌疾患の治療プログラムを実行しております。

それにしても教授、あの様に都合のよい少年をよく見つけて来られましたね。

万が一レプリカオオカミが暴走して喰い殺してしまっても身元不明で処理できそうです。

ホームレスとは良いところに目をつけましたね。

ん?神頭君、私はあの少年については何も知らんぞ。

君が用意したのではなかったのかね?

いえいえ、私も知りません。私は教授がご用意下さったとばかり思っておりました。

んんん、だとするとあの少年はいったい何者なんだ・・

 

少年はニホンオオカミの首を撫でている。

のらりくらりと降る雨が森を乳白色に暈している。

ワックスを擦り込んだエジプト綿のジャケットはよく撥水した。

ジャケットから取り外した大きなフードをニホンオオカミの背に着せる。

それから少年は自分の股関節にカムフラージュされている自国との通信機器のスイッチを切った。

 

 

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