みんなさようなら

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こんにちはウルカ。

 

線路に遺棄された自転車が雨に濡れている。

空調がギリギリと音を立てている。

子供達はブンブンと夏を振りまわして、夏が消耗してなくなってしまう事を恐れない。

腕時計を見る。

深いグリーンのサブ・マリーナーは、かつて恋人から贈られたものだ。

よく使い、よく傷のついた硬質のステンレスは、鞣革のように滑らかで。

時刻は午前。

時間は朝、昼、夕、夜、深夜、夜明けの6つくらいで十分だ。

時針も分針も秒針もいらない。

朝、昼、夕、夜、深夜、夜明けで文字盤の色が変わる機械式腕時計が欲しいな。

列車の進行方向とは逆方向に座席と座席の間の通路を走る。

これは地球の自転とは逆方向に移動する事によく似ている。

大きな流れのなかで小さな飛沫があがっただけだ。

何も変わらないけれど、飛沫にとっては飛沫をあげる意義は大きいのだろう。

 

 

 

一昨年の冬、こんなことがあった。

 

9月4日

突然といえば突然だけど、自分の世界は終わるのだと確信したんだ

月曜日から金曜日までを息を止めるように生きている

毎朝の満員電車

乗客全員が俯いた顔をスマートフォンにぼんやりと照らされて、日中シンクロをしている

日焼けを欲している若者や、ヤンチャおじさんは、スマートフォンからUVが放射される機能が追加されれば一石二鳥だね

混んだ車内では、見知らぬサラリーマンと恋人同士のような近距離で身を寄せ合い、スマートフォンを剣にしてカチカチと鍔迫り合いをする

今日の相手は剛健なスマートフォンカバーを纏っていて強敵だったよ

相手のスマホ剣を叩き落とす勇気なんて僕にはない

おまけに足を踏まれたとしても我慢するだけさ

そんな僕がアマゾンのジャングルへ行こうと決めたのは、突然といえば突然だけど、当然といえば当然なんだ

就職祝いに72回の分割払いで購入したオメガ・スピード・マスターを左腕に着けていくよ

他に宝物が見つからなかったからね

冒険には肌身離さない相棒が必要でしょ

まだ使った事の無いストップ・ウォッチの機能を使うような気がするんだ

このスマートフォンはジャングルの何処かに隠しておこう

遠い未来に誰かが見つけて、自分宛に送ったこのメールを読むかもしれないから、ロックは外しておきます

パスポートはジャングルに到着したら捨ててしまおうと思っているよ

パスポートなんて持っていたらいつまでも僕は僕のままだからね

 

このメールを読んでいるあなたへ

あなたは日本語を理解できるという事は日本人かな

もしかしたら翻訳機能を使って読んでいるのかな

ブラジルの人かな

僕は日本の東京からこのジャングルへきたんだ

でも本当はまだ東京に居るのだけど

会社帰りの牛丼屋さんでこれを書いてるんだ

準備は出来ているよ

アマゾンの河にはピラルクという大きな魚がいる事も知っている

部族の村へのアクセスもインターネットで調べたよ

僕はジャングルで、僕を捨てて僕を拾うんだ

 

11月7日

いよいよ出発!

これから飛行機に乗って地球の裏側へ向かいます

みんなさようなら

 

 

冬。

気温26度。

サンパウロの安宿。

到着早々にスマートフォンとカメラと200ドルを盗まれてテンションの上がった俺は、裏路地にあった路上店でこのスマートフォンを買った。

ジャポネと手書きのシールが貼られた、薄汚れたこのスマートフォンは初期化すらされておらず、相場の5分の1の値段がついていた。

充電をして電源を入れると、メールアプリのアイコンに着信を知らせる赤い丸。

スマートフォンの元持ち主が、元持ち主自身に宛てて送ったであろうそのメールを読んだ俺は、もしやオメガの腕時計も売られているのではないかと、翌日もう一度裏路地を訪れることにした。

路上店は跡形もなく消えていた。

 

 

メールの文章はうろ覚えだったので俺風になっている。

でも大体こんな内容だったと記憶している。

スマートフォンは元持ち主の意志を継いで、現地に隠しておいた。

ジャングルではないけれど、あそこならきっと長い間見つかることはないだろうよ。

オメガは、今もあんたの左腕にあるといいな。

 

 

 

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