パプリカを囓る忍者
ただいまウルカ。
今日は暑かったね。
夜は台風がやってくるそうだ。
嵐になる前に、家族の話でもしようか。
夏が盛りを終える頃。
パンク・ロック・ファッションに身を包んだ老女が、手押し車に凭れるように歩いている。
ぶつぶつと何かを呟いているが、行き交う人々に内容が聞こえるほどの声量ではない。
どのみち聞こえたところで、その言語を理解できる者は無いだろう。
老女は陽の光を避けるように陰の中をキィキィと手押し車を鳴らしながら進む。
僕は石畳の通りを歩いている。
アスファルトと石畳では、後者の方が硬い。
硬いが、あたたかみがある。
余計な事を考えないように、目立たないように、気配を消して、石畳の感触だけに集中する。
スーパーマーケットの茶色い紙袋を抱えている。
僕はエクソシスト、要するに悪魔祓い専門の牧師であり、忍者である。
神父と牧師では大きな違いがあり、後者で悪魔祓いを行う者は少ない。
普段は忍者として働き、休日は教会へ。
依頼があれば悪魔祓いを請負う。
今日は早番だったので、午後イチで忍術業務を終わらせると、遅番の忍者と交代した。
遅番の忍者は完徹プライム・ビデオに陥ったそうで、目の下にクマをつくっていた。
夜の忍術業務は、変わり身と分身の術でなんとか乗り切るそうだ。
忍者事務所を後にする。
街には残暑のぬめりが不快に蟠っている。
スーパーマーケットで悪魔祓いに使用するパプリカを6個購入した。
半年ぶりに悪魔祓いの依頼が入ったのだ。
僕は悪魔祓いが苦手である。
なんといっても悪魔が恐ろしいし、取り憑かれた人間は暴力的になり、吐瀉物をかけられたり、酷いことを言われたり、命を狙われる事もある。
高い報酬がなければ絶対にやっていないだろう。
家のローンがたっぷりと残っている。
自動車を買いかえたい。
家族には、ハワイ旅行を強請られている。
忍者の仕事と週末の教会でのバイトでは到底賄えない。
僕には、カネが必要なのだ。
正面から、悪魔憑きの老女が手押し車に凭れるように歩いてくるのを見つけた時は、最悪最低の気分となった。
悪魔は陽の光に焼かれると力を失う為、通常昼間に出歩く事はない。
昼間に出歩く事が出来るという事は、相当に強い力を有した悪魔である。
一介のエクソシストなどひとたまりもない。
僕がエクソシストだということがわかれば、悪魔は僕を殺すだろう。
僕は咄嗟に忍法隠みの術で街路樹と同化する。
幸い、忍術業務帰りだったので、聖水もバイブルも持っておらず、悪魔に牧師だと気づかれる可能性は低い筈だ。
野菜を抱えた忍者が街路樹にはりついているに過ぎない。
キィキィと老女が街路樹の前にさしかかる。
老女が足を止めた。
僕は懐の中の手裏剣を握りしめる。
「お若いの、わたしのことがわかるようだね」
老女が旧言語を逆再生で発音する。
銀色のピアスが舌の上にみえた。
僕は思わず声を漏らす。
「ジーザス…」
「そう、わたしはあなたの神だよ」
「オォ・マイ・ゴッド…」
老女は…
老女は僕が神と崇める伝説のパンク・バンドのヴォーカリストだった。
2年に亡くなっている。
それから老女は顔を僕の母親に変えた。
忍法隠みの術で同化していたつもりの街路樹は、背後でボロボロと朽ち落ちはじめている。
僕は歯をくいしばる。
意識の果てで、紙袋のパプリカを掴むと、一息に囓る。
ページをめくる。
形状記憶の神を小さく折り畳んで心にしまう。
高額なお布施をすれば、よりコンパクトに折り畳める神をくばられる。
ちょっとした心の隙間にいれておけるので大変便利だ。
いざというときには、神を大きく広げる。
神を広げるには嫌いなものを囓らなきゃいけない。
まあ、手にナイフを突き刺すよりは全然マシだけど。
形状記憶なので折り皺一つないピカピカの神が心に広がる。
午後から雨予報、神を濡らさないように折り畳んで隅にしまっておこう。
私はそこまで読むと、11歳になる息子のノートを閉じた。
とても変わった子で、忍者のコスチュームで学校へ通ったり、パプリカを大量にベッドの下に隠していたりする。
学校でいじめられたりしていないだろうか。
一度、兄に相談してみようかしら。
帰宅した俺は部屋の明かりをつける。
ウルカの様子をみる。
ぐっすりと眠っている。
スマートフォンが着信を知らせる。
おっ、めずらしいな。
妹からか。
はい、もしもし?
今日のニュース
「なお、この素材は自動的に消滅する」任務終了直後に蒸発するスパイ大作戦みたいな新素材が開発される
ウルカはデュビアを1匹