夏がくるぜ
こんにちはウルカ。
少し行ったところに赤い屋根をした一軒家がある。
幸せそうな家族。
気さくな主人と優しそうな奥さん、元気の良い小学4年生の男の子と可愛い盛りの5歳の女の子の4人が暮らしていた。
庭には凄くカッコの良い古いレンジローバーがとまっていて、クルマやオートバイやアウトドアやドウブツが好きな主人とはよく立ち話をした。
若い頃に世界を放浪した話、やっとの思いで叶えたマイホームと自営の飲食店の話、猫や犬の話、子供の話、クルマやオートバイの話、ファッションの話、優しさや怒りについての話。
ある時、庭に小さな物置のようなものが新設されていた。
ニコニコしながら庭で水まきをしている主人に、あれは何ですかと尋ねると、今カブトムシの幼虫とサナギを育てているんだよ。150匹以上はいるかな。夏になったら近所の公園に全部放して子供達と昆虫採集をしたいんだよ。
ちょっと!やめてよぉ、そんなことしたらご近所に迷惑よ。
いつのまにかリビングから顔を出した奥さんがアハハと笑いながら言った。
主人は頭をかきながら照れくさそうに笑った。
それから暫く仕事が忙しくなった事もあり、赤い屋根も主人もその家族も見かける事はなかった。
夏も終わりになる頃、仕事がひと段落した俺は久しぶりの太陽の下、近所を散歩した。
あの赤い屋根の一軒家の前を通りかかると、何だか様子が変わっている。
庭をみるとカブトムシ小屋はなくなっており、かわりにテーブルやタンスなどの家具が乱雑に置かれている。
引っ越しでもするのだろうか。
そこへ丁度出かける所の主人が家から出てきた。
変わらない笑顔で話してくれた。
離婚した事、今は独りでこの一軒家で暮らしている事。
いやぁ、人生何があるかわかんないね。
だから面白いのかな。
主人は頭をかきながら照れくさそうに笑った。
あれから数年が経つ。
赤い屋根の一軒家は段々と古びて萎んでいくようにみえた。
レースのカーテンは所々破れ、レンジローバーは軽自動車にかわった。
庭に放置された三輪車はどんどんと褪せていった。
何となく気まずくなってしまい、俺は赤い屋根の一軒家を避けるように生活していたのかもしれない。
あの主人と会って話すことは一度もなかった。
昨日、駅であの主人を見かけた。
随分と太っていて見慣れないスーツ姿だったので、最初誰なのかわからなかった。
僕はね、スーツを着るような職業に就いた事がないんだよ。堅苦しいのが苦手でね。
と頭をかいた主人を思い出した。
向かいのホームにぼうっと幽霊のようにたっている主人は俺の視線に気づくことはなかった。
それでもまた頭をかきながら照れくさそうに笑ってほしかった。
また、夏がくるぜ。
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